プロローグ
「誰にも負けない強い魔術師になりなさい」
昔、お袋から言い聞かせられた言葉の中で一番印象に残ってる言葉だった、1日一回必ず言われてたからな。
そりゃあもう耳にタコができてもげるんじゃないかってぐらい。
自分の子供に強くなってもらいたいのはどんな親だってそうだと思う。俺が将来結婚して子供を産んだとして、その子供に強くなってほしいかと問われればそりゃあそうだと答えるに決まってる。
自我が芽生え始めたての頃の記憶だからそれなりに捏造しちまう部分もあるかと思うが、甘えん坊に育てられた俺はきっと胸を張って「うん!」って答えていた気がする。そういうとすごく嬉しそうにお袋が笑ったのだけは鮮明に残っているから。
俺自身がその言い聞かせに疑問を抱くようになったのは小学校高学年あたりからだ。
よく考えてほしい、普通の子は親から「強い子になりなさい」って言われるのがセオリーだと思う。しかしお袋の場合は「強い」の後に「魔術師になりなさい」だった。
昔読んでもらっていた本の内容のほとんどは魔法使いやら何やらの話で、「あなたもいつかこんなすごい魔法が使えるようになるのよ」なんて言われていたから、その「強い魔術師」になることに何のい疑問点も抱かなかった。だから、同年代の友人に何ちゃらレンジャーごっこやら女の子に誘われたおままごとには必ず「俺魔法使い!」っつって自分から役を挙手することは多かった。
もちろんブーイングは飛んだけど。
それでもそれだけは譲れなかった俺は無理やり遊びの中で強い魔法使いを演じ続けた。
それが小学校に上がってからも続いてんだから、今思えば相当恥ずかしいことをしていたと思う。
で、魔法使いへのこだわりを捨てきてない夢かわいい思考の幼い子供に待っていたのは勿論いじめとか孤立とかそんなもの。
まぁ当たり前だ、協調性を無視して魔法だの何だの成長しても騒いでるんだから頭のおかしいやつと思われても文句は言えない。毎日小学校で席に着くたびにくすくすした笑い声、クラスのリーダーのでかいガタイの男子と子分たちに絡まれては馬鹿にされる毎日が続いた。「魔法使えるなら使って空でも飛んでみろよ!!」なんて言われてもできるわけがない。そこまでされて漸く自分の頭がおかしいと気づいたのが小学校4年の頃だった。
何が魔法だ、馬鹿馬鹿しい。そう思って、お袋の言い聞かせも嫌いになりかけてた頃、10歳の誕生日にすごい古い本をプレゼントとしてもらった。
真っ黒に煤けた、なんだか変な手触りの古い本で。でもそれがなんだか自分にとってとっても都合の良いものに思えた。
「それを学校にも持って行って、暇な時間には必ず読みなさい。大丈夫、この世界のくだらない教育を促す本ではないわ。きっと、あなたに奇跡をもたらしてくれる魔法」の本よ。いい?絶対に、誰にも渡してはダメよ?」
ただでさえクラスで馬鹿にされるのに、こんなものも持ってったらもっと虐められる。そう思ってたのに、やっぱり嫌だとか言い出せなかった。最初はいじめっ子にばれないようにこそこそと1人、休み時間で人気のないとこで読んでた。英語やら漢字ばっかだったけど黒い紙面ひ白い文字で書いてあったのがなんだか魅力的で毎日楽しんで読めてた。
けどやっぱりそういうのはバレてしまうもので。ある日給食食ってるときに本が見つかって、とられてみんなの前で見せびらかされた。俺にとって魅力的だった黒い本はみんなからしたら薄気味悪くて不気味だったらしくて、吐き気を催したような悲鳴やうめき声が教室に響いた。それを聞いた瞬間に泣きそうになって、必死にいじめっ子から本を取り返そうとした。けど複数人に取り押さえられて、身動きが取れなくて、返してと必死で叫んだ。
で、本を取り上げたやつはその様子を面白がって、床に本を叩きつけて踏んだりした。
その時、一瞬だが自分の腹の中から何かがざわめくような感覚があった
昔、お袋から言い聞かせられた言葉の中で一番印象に残ってる言葉だった、1日一回必ず言われてたからな。
そりゃあもう耳にタコができてもげるんじゃないかってぐらい。
自分の子供に強くなってもらいたいのはどんな親だってそうだと思う。俺が将来結婚して子供を産んだとして、その子供に強くなってほしいかと問われればそりゃあそうだと答えるに決まってる。
自我が芽生え始めたての頃の記憶だからそれなりに捏造しちまう部分もあるかと思うが、甘えん坊に育てられた俺はきっと胸を張って「うん!」って答えていた気がする。そういうとすごく嬉しそうにお袋が笑ったのだけは鮮明に残っているから。
俺自身がその言い聞かせに疑問を抱くようになったのは小学校高学年あたりからだ。
よく考えてほしい、普通の子は親から「強い子になりなさい」って言われるのがセオリーだと思う。しかしお袋の場合は「強い」の後に「魔術師になりなさい」だった。
昔読んでもらっていた本の内容のほとんどは魔法使いやら何やらの話で、「あなたもいつかこんなすごい魔法が使えるようになるのよ」なんて言われていたから、その「強い魔術師」になることに何のい疑問点も抱かなかった。だから、同年代の友人に何ちゃらレンジャーごっこやら女の子に誘われたおままごとには必ず「俺魔法使い!」っつって自分から役を挙手することは多かった。
もちろんブーイングは飛んだけど。
それでもそれだけは譲れなかった俺は無理やり遊びの中で強い魔法使いを演じ続けた。
それが小学校に上がってからも続いてんだから、今思えば相当恥ずかしいことをしていたと思う。
で、魔法使いへのこだわりを捨てきてない夢かわいい思考の幼い子供に待っていたのは勿論いじめとか孤立とかそんなもの。
まぁ当たり前だ、協調性を無視して魔法だの何だの成長しても騒いでるんだから頭のおかしいやつと思われても文句は言えない。毎日小学校で席に着くたびにくすくすした笑い声、クラスのリーダーのでかいガタイの男子と子分たちに絡まれては馬鹿にされる毎日が続いた。「魔法使えるなら使って空でも飛んでみろよ!!」なんて言われてもできるわけがない。そこまでされて漸く自分の頭がおかしいと気づいたのが小学校4年の頃だった。
何が魔法だ、馬鹿馬鹿しい。そう思って、お袋の言い聞かせも嫌いになりかけてた頃、10歳の誕生日にすごい古い本をプレゼントとしてもらった。
真っ黒に煤けた、なんだか変な手触りの古い本で。でもそれがなんだか自分にとってとっても都合の良いものに思えた。
「それを学校にも持って行って、暇な時間には必ず読みなさい。大丈夫、この世界のくだらない教育を促す本ではないわ。きっと、あなたに奇跡をもたらしてくれる魔法」の本よ。いい?絶対に、誰にも渡してはダメよ?」
ただでさえクラスで馬鹿にされるのに、こんなものも持ってったらもっと虐められる。そう思ってたのに、やっぱり嫌だとか言い出せなかった。最初はいじめっ子にばれないようにこそこそと1人、休み時間で人気のないとこで読んでた。英語やら漢字ばっかだったけど黒い紙面ひ白い文字で書いてあったのがなんだか魅力的で毎日楽しんで読めてた。
けどやっぱりそういうのはバレてしまうもので。ある日給食食ってるときに本が見つかって、とられてみんなの前で見せびらかされた。俺にとって魅力的だった黒い本はみんなからしたら薄気味悪くて不気味だったらしくて、吐き気を催したような悲鳴やうめき声が教室に響いた。それを聞いた瞬間に泣きそうになって、必死にいじめっ子から本を取り返そうとした。けど複数人に取り押さえられて、身動きが取れなくて、返してと必死で叫んだ。
で、本を取り上げたやつはその様子を面白がって、床に本を叩きつけて踏んだりした。
その時、一瞬だが自分の腹の中から何かがざわめくような感覚があった